円覚寺日曜説教会
〜感謝の思いを常に持ちつづけること
南嶺老師は最近、鮫島純子さんにお会いになり、鮫島さんの姿勢の良さに感動なさったそうです。
渋沢栄一さんのお孫さんでいらっしゃる鮫島さんは、大正11年生まれ、現在97歳というお年にもかかわらず、講演中はもちろん、講演後の懇談の席でも、約2時間半という時間、姿勢を崩されなかったそうです。懇談中、いっときでも椅子の背もたれによりかかからなかったと。
そんな素晴らしいお方の根本にあるお考えが、ご著書にもある「何があってもありがとう」と思うお心と行動。
困難は大きな気づきを得るためのもの。
一番の健康法は、感謝をしてよく噛むこと。
ずっと、いつでも、まず感謝することが大切。
いつも感謝することだけを思っているから、最近、心筋梗塞の症状が出た時も、とっさに出た祈りは「ありがとう ありがとう」だった。
神様や仏様には、お願い事ではなく、感謝の祈りだけでいい。
鮫島さんは、このように語られたそうです。
思っていれば、それは言葉になり、行動になり、習慣になり、性格になり、運命になる。
仏教の「戒」も、よい習慣を身につけなさいという教え。
真民さんのお母様も、38歳で夫を亡くした後の強い思いが「念ずれば花がさく」の言葉となり、いつも唱えるという行動になった。
では感謝するとは?
「無事(何かを求める思いがないこと、収まること)」であること。
坐禅をして、悟りのようなものが得られないとしても、座っていられることを有難いと思うこと。
目が見えること、耳が聞こえること、歩けること、お日様に照らされていること、空気があること……、幸せであることを有難く思うこと。
そんなことを思って電車に乗っておられた南嶺老師、法要のため真っ白な足袋を汚さぬよう気にしていた折に、足を踏まれてしまったそうですが、とっさに口から出た言葉は
「いいよ、ありがとう」 だったそう。
〜何があってもありがとう〜
心の修行を続けたいと思います。
歩く度にまだ痛む右足は、この修行のために届いたギフトだったのかもしれません。
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