円覚寺夏期講座 初日

6月1日より円覚寺夏期講座が始まりました✨
初日 南嶺老師による無門関提唱は
「庭前の柏樹子」について。

趙州という偉い僧が禅とは何かと問われて答えたのがこの言葉。
禅とはなりきる事。言葉で表そうとした途端、それはそのものではなくなる。言葉だけを受け取っていては滞ってしまう。
では、木から何を学ぶのか。

南嶺老師は、真民さんの「大木」「一本の道を」、相田みつをさんの「いのちの根」を紹介されました。

  一本の道を                  坂村真民
木や草と人間と
どこがちがうだろうか
みんな同じなのだ
いっしょうけんめいに
生きようとしているのをみると
ときには彼らが
人間よりも偉いとさえ思われる
かれらはときがくれば
花を咲かせ
実をみのらせ
じぶんを完成させる
それに比べて人間は
何一つしないで終わるものもいる
木に学べ
草に習えと
わたしはじぶんに言いきかせ
今日も一本の道を歩いて行く

   いのちの根                      相田みつを
なみだをこらえて
かなしみにたえるとき
ぐちをいわずに
くるしみにたえるとき
いいわけをしないで
だまって批判にたえるとき
いかりをおさえて
じっと屈辱にたえるとき
あなたの眼のいろが
ふかくなり
いのちの根が
ふかくなる
2時限目は、俳人の長谷川櫂先生。

「俳句的死に方」
「死」という言葉は中国からの外来語なのだそうで、それ以前は日本では「なくなる」と表現していた。
「なくなる」とは、目の前からいなくなるという意味。どこへ? 山や海へ。
ここからいなくなって何処かへ行く。
そのどこかは、境界がなく連続しているところ。
日本では人がなくなることをこのように捉えていたのだそうです。

その上で、正岡子規と芭蕉の俳人としての生と句についてお話しくださいました。
「意識が言葉となり、言葉が秩序となる」
「言葉以前の人生」
こんな言葉が心に残りました。
3時限目は、早稲田大学の熊野宏昭先生。
「ストレスに負けない生活」

力まず・避けず・妄想せず
この三つのポイントについて、実践を交え具体的にお話しくださいました。

会場で、坂村真民記念館の西澤館長と真美子さんにお会いしました。

。まみつぶ 。⚪︎。

いいこと いつでも いっこでも 空 雲 風 月 星 木 花 子ども ・・・ 天を舞う光の粒々からのメッセージ ワタシはそれを 言葉にして、音にして、宙に放つ しあわせも よろこびも いつでも あなたの周りに溢れている

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