円覚寺夏期講座4 終了
南嶺老師の無門関 第四十則
百丈懐海という僧が新しい道場を任せる人を決めるのに、修行僧の頭だった者と、炊事係だった潙山霊祐(いさんれいゆう)の二人に問題を出した。
「浄瓶(じんびん)」というヤカンのよう入れ物を示し、「これを浄瓶と言わないとしたら、どう呼んだらよいか」と。
それに対し、修行僧の頭だった人は真面目に答えたが、潙山霊祐は答えずに浄瓶を蹴り飛ばした。
その様子を見て、百丈は潙山霊祐に新しい道場を任せることにした……という内容。
百丈という僧は禅の修行生活に規律を作った人。作務という言葉も、この人によるものなのだそう。
潙山霊祐は、修行に専念し、田畑を耕し、修行僧皆と自給自足の暮らしを行い、後に1500名もの弟子をもつようになった。
この時の潙山霊祐に敗れた修行僧の頭だった僧は、山で二頭の虎と修行を重ねた。
ここで大切なのは、台所であろうと住職であろうと、出世争いに勝っても負けても、どんな役目でも、その場がその人にとっての修行の場であるということだと、南嶺老師。
修行の究極のところは、自分の与えられたその場に、どこまで深く感謝してやっているかということ。
今の暮らしを「有難い」と思って、喜んで、やっているかどうかということ。
過去・他所と比べず、時は今、ところは足下、ただ今取り組むことに命を打ち込むこと。
そして、今日最後にご紹介くださった真民さんの「感謝」という詩は、今月の掲示板に貼ってあるものでした。
2時限目は、駒澤大学の田中徳定先生
「中世文学と禅」
中世の日本で、禅がどのくらい浸透していたのかということを軍記物『太平記』と日記『竹むきが記』から考察。
この時代は朝廷も幕府(鎌倉・室町)も禅僧に帰依していて、武士たちの辞世の頌(漢詩)には禅的な視点世界観が良く表れている。また日記には、日常の生活の中に禅の考え方や捉え方、学問としての禅の立場が表現されているとのこと。
宗教と学問、生活、生き方が、今よりずっと近く自然な関係だったのだろうなと思いました。
3時限目は、塩沼亮潤大阿闍梨
「人生は小さな修行」
23歳から31歳にかけて取り組んだ千日回峰行、さらにその後、9日間にわたり食べず、飲まず、寝ず、横にならずを続ける四無行を通してつかんだ真実について、ゆったりとした口調、明るい表情、まっすぐな視線を会場の隅々にまで届けるようにお話しくださった。
・とらわれの原因は何か、その答えに自分で気づけた時、人は本当の幸せを得る。
・人として生きて、やがて土に還るまでの間に、自分をどう成長させ、生きてくか。
・人生は修行の場。
・今日より明日、明日よりあさって。過去最高のお務めをする。
・同じことを同じように繰り返していく。情熱を失ったら悟る可能性はない。
・いちばんの修行は人と人との人間関係。
・自分のという一そうの小舟は、囚われの岸にたくさんのロープで繋がっている。
・ロープを切るのは自分。切って自由にこぎ出そう。
・「いやだなぁ」と思っている人に自分から声をかける。
・心からの懺悔をすれば、仏様は許してくださる。
・最後のロープが切り離された時、すべてがよい方向「運ばれている」ように感じた。
・心、言葉、態度で幸せを表す。
・「はいっ!」心地よい響きのする返事にあなたの心はすべて表れている。
4日間の夏期講座が終わりました。
光の中に生きている、生かされている有難さを頭と心と体と魂で感じる4日間でした。
ありがとうございました。
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