立春
2/4の朝日新聞より、坂本龍一さんの言葉。
「人間は調律していないピアノの音を『狂った』と言うけれど、本来あるべき姿に戻っているだけ。狂うどころか、自然な音」
「人間は愚かなもので、自分の意識、つまり脳だけが過剰に肥大している。
自分の意識だけが自分の生を決めているなんて錯覚に過ぎない。
自分の生は自然の中の一部。
生まれた時から死に向かって歩いている」
「音楽も仕事も人生も始まりがあり、終わりがある。そこから解き放たれた音楽を志向する(ことは)『永遠性』にあこがれるのと似ている」
老いていくこと、病気になること、亡くなるということについて、今年に入ってからの幾人かとの交わりを通して、感じ入るものがあった。
老も病も死も自然なことだとわかっていながらも、現実に身近なところで接すると、心の中でうまく処理できずにいた。
その思いが、記事中の坂本龍一さんの言葉で、少し消化できたような気がする。
折しも立春。
岩走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも (万葉集 巻八 1418)
(石の上を走り流れる小さな滝のほとりに、さわらびが萌え出る春になったことだなぁ)
調律した音もしていない音も、強く貼った音も柔らかな小さな音も、音にならない波動も、共に鳴り合って、感じ合って、慈しみ合える、心地よい春であってほしいと思います。
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