意図的な誤読

昨日こんな言葉をお聞きしました。
文芸でも美術でも音楽でも、その作品が作られた背景にどういう事実があったかとか、歴史的観点からみたらどうかとか、社会からどのような評価をされているかとか、そういった一切からすっかり切り離し、今、自分は、この作品から何を感じるかを大切にする。主体的な解釈をする。それは意図的な誤読であっていい。

思うままに、感じるままに、表現する。伝え合う。
そこからまた新たなこころの耕しが始まって、自分も深まる。相手も深まる。場に、ある気配が生まれる。

昨日は冬至。
陰極まりて陽に転ず。
一陽来復となった今朝の陽の清々しさ!
朝時間の心の澄度が違う。
有難い朝。

縁と言えば縁なのだが、めぐり合わせの奇跡。
新生し萌芽し出した若芽、きっとグンと伸びてゆく。
土を耕せ。水を遣れ。光は存分に注がれている!

。まみつぶ 。⚪︎。

いいこと いつでも いっこでも 空 雲 風 月 星 木 花 子ども ・・・ 天を舞う光の粒々からのメッセージ ワタシはそれを 言葉にして、音にして、宙に放つ しあわせも よろこびも いつでも あなたの周りに溢れている

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