大地を踏みしめる
(鈴木大拙)
人間は大地において自然と人間との交錯を経験する。
大地は人間の力に応じてこれを助ける。
人間の力に誠がなければ大地は協力せぬ。
誠が深ければ深いだけ、大地はこれを助ける。
人間は大地の助けの如何によりて自分の誠を計ることが出来る。
大地は詐(いつわ)らぬ、欺かぬ、またごまかされぬ。
人間の心を正直に映しかえす鏡の人面を照らすが如くである。
大地に親しむとは大地の苦しみを嘗めることである。
ただ鍬の上げ下げでは大地はその秘密を打ち明けてはくれぬ。
大地は言挙げせぬが、それに働きかける人が、その誠を尽くし、私心を離れて、自らも大地となることが出来ると、大地はその人を己が懐に抱き上げてくれる。
霊性というと、いかにも観念的な影の薄い化物(ばけもの)のように考えられるかも知れぬが、これほど大地に深く根を下ろして居るものはいない。
霊性は生命だからである。
大地の底には、底知れぬものがある。
空翔けるもの、天下るものにも、不思議はある。
しかしそれはどうしても外からのもので、自分の生命の内からのものでない。
大地と自分とは一つのものである。
大地の底は自分の底である。大地は自分である。
(リゴベルタ・メンチュ 1992年ノーベル平和賞受賞者)
大地は
世界の野心的な人々が望むような
鉱物や石油など経済的な資源以上のものです
父なる太陽
母なる大地
祖母なる月は
生活と精神のすべてにかかわる存在です
大地の響き、大地の祈り、大地に沁みこんでいる人々の涙と祈りをもっと感じたいと思う。
今週末の天草・熊本の旅で、私は何を感じるだろうか。
空や海や草木からだけでなく、大地の響き、声、大きな懐をこの身体で感じてきたい。
そのためにも、自分を空にする。
透明にする。
曇らせてはいけない。
歪んでいてはいけない。
大地の奥の、人々の苦しみや祈りをも慈しみ抱きかかえ、つつみ込んでいる、
大地の根柢の愛を感じたい。
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