穏やかな気持ち

昨日、南嶺老師からお便りをいただいた。
お送りした詩を読んでくださり、そこから思いを広げてくださり、それを伝えてくださることが有り難く嬉しかった。

今朝、円覚寺のYouTubeを開くと、そこでもお話しくださっていて、涙が溢れてきた。
https://youtu.be/wF5n2Sx2IkU

心静かに拝聴し、1分の呼吸瞑想の時間をいただき、再び目を開けた時、なんとも言えぬ穏やかな気持ちが広がっているのを感じた。

無分別
穏やかな気持ち
笑う
硬いものが分かれ開かれる様子

穏やかな一日でありますように。

穏やかな気持ち | 臨済宗大本山 円覚寺icon_arrow-r_01icon_tryangleicon_searchicon_tellicon_downloadicon_new-windowicon

© 2019 ENGAKUJIALL RIGHTS RESERVED. お問い合わせ その方は、いつも円覚寺の日曜説教などにもお越し下さっていたご夫人でいらっしゃいます。いただいたお手紙には、もう円覚寺に行かれなくなって一年が経つと書かれていました。たしかに、その通りで、思い起こせば昨年の二月に、日曜説教を行って以来、オンラインでの法話になったのでした。もう一年になるのかと改めて思います。その方も、動画をご覧になってくださっているのですが、やはり直接お目にかかる日を待ちたいと書かれていました。それはこちらもその通りで、直接お目にかかってお話のできる日を待つ思いであります。坂村真民先生が、『詩国』という個人詩誌を出されていたましので、それと同じように、一枚の紙の裏表に、詩と写真とを載せてくださっています。もうこれで十三号になります。毎月楽しみに拝見しています。今号では、「穏やかな気持ち」という詩に心ひかれました。きれいな青空に、白い雲がたなびく写真が添えられています。「人はどういう時に穏やかな気持ちになるのだろう」と問いかけておいて、大空を仰いだとき大きな木を見上げたとき光る川を見たとき浮かぶ雲を眺めているとき日の光に優しさを感じたときおいしいお茶をいただいているとき等をあげられています。他にどんな時に穏やかな気持ちになるだろうかと考えてみました。花が咲いているのを見た時、それも枝振りを整えて活けられた花よりも、野に咲く花がいいと思います。赤ん坊を見る時、なんとなく穏やかな気持ちになるものです。人見知りをするようになってからよりも、まだそんな意識もない頃の子どもの表情を見ていると穏やかな気持ちになります。子犬や子猫を見る時、これも穏やかな気持ちになれます。これらを書き出してみて気がついたのは、穏やかな気持ちになれるものというのは、皆無分別であることです。花が咲くのも無心、枝を整えようなどという計らいのない無分別がいいのです。赤ん坊も、人見知りをするような分別意識のない無分別であります。子犬も子猫も全く無心そのもの、無分別です。無分別に触れると心が穏やかになるのだと気がつきました。なぜかというと、無分別こそがお互いのふるさとなのだと思うのです。無分別に

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。まみつぶ 。⚪︎。

いいこと いつでも いっこでも 空 雲 風 月 星 木 花 子ども ・・・ 天を舞う光の粒々からのメッセージ ワタシはそれを 言葉にして、音にして、宙に放つ しあわせも よろこびも いつでも あなたの周りに溢れている

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